「この生は受け入れがたし」総括その①

まちだです。

先日、劇団words of hearts 第18回公演「この生は受け入れがたし」が無事に終演しました。ご来場頂きました方々、ありがとうございました。稽古から劇場入り、そして本番まで、まるで夢の中にいるような楽しい時間でした。(写真・高橋克己)

昨年11月の本公演が中止となり、失意に浸る間もなく代替公演のことを考え始めました。来年の4月中に行うことは決まっていたので、時間的なことも考えて既成台本がいいだろうと思い、ネットで公開されている様々な戯曲を読みました。しかし面白いと思えても、「これ!」と思える作品は見つかりませんでした。公演日は決まっているのに肝心の演目が決まらずに時間だけが経過していく。なかなかの非常事態です 。

焦る気持ちを抑えながら、とある演劇レビューのサイトの中で見つけたのが「この生は受け入れがたし」でした。先ず「東北地方にある寄生虫研究室でおこる人間模様」という文言に、まだ読んでもいないのに、おこがましくもWOHっぽいと感じました。正に直感です。いてもたってもいられずに台本を探しましたが、無料公開はされていなかったので、すぐに購入することを決意しました。この時点では既に僕の中では「この作品をやるんだろうな」とぼんやり考えていたんだろうと思います。

数日後に戯曲が届き、読み始めた途端、物語の世界に引き込まれました。寄生虫を通して語られているのは、正に我々が日常生活で抱えている事柄でした。ちょっとした偏見や差別、都会と田舎、夫婦のすれ違い、家族のあり方、個人の生き方、そして震災の経験。実に様々なテーマがお互いを邪魔することなく、しかもそれが絶妙な深みとなって存在していました。大きな事件は起こりません。それなのに人の気持ちが動いていく。今まで余り触れたことのないタイプの物語でした。読み終わった直後に「こんなの自分に出来るだろうか?」と初めてビビりました。ようやく我に返ったとも言えるでしょう。

しかし戯曲の中で語られている中に、一つ心に引っかかるものがありました。後半で研究員の高木(舞台では山田プーチンが演じました)が語る「寄生から共生へなんて、だって嘘だべ」という台詞です。どういう意味なんだろうと思いました。それに端を発して、そもそもここで語られている「寄生虫」の役割とは何だろうと考え始めました。そこから何度か戯曲に目を通しましたが明確な答えらしきものはありません。

読めば読むほど疑問は頭の中で膨らむばかり。もしここで止めてしまうとこのモヤモヤはずっと僕の頭の中に居座るに違いない、正解か不正解かは関係ない、自分なりの答えが欲しい、そのためにはこの作品にとことん向き合うことだろうと思いました。具体化するべきだろうと。それに実際に動き出せば、多くの人が集います。僕一人では無理だとしても、それだけの頭脳があれば何かしらの答えが出るに違いない。そんな打算的な側面があったことも否定できません。

とにもかくにも、そんな具合で第18回公演は僕の中で慌ただしく動き始めました。先ずやるべきことは俳優とスタッフといった人員の確保です。電話やらメールやらラインやらを総動員してコンタクトを取りました。ここでは名称は割愛しますが、幸運にもとても魅力的なメンツが揃いました。今回の公演で起こった最初の奇跡です。とは言え、この時点で2023年もほぼ終わり。本番まで三か月半ほど。慌ただしく、そして静かに第18回公演が動き出しました。(つづく)

最新情報をチェックしよう!