「芸能人に似てるね」と指摘するリスク

(金曜日担当:まちだ)

結構な頻度で「阿部サダヲさんに似てますね」と言われる。 指摘されるようになったのは30代になってからだから、かれこれ20年近くになる。 どれだけ似ているか、一つ証拠を示そうと思う。

写真は数年前に某大型スーパーで見つけたポップ。 どう見ても僕ではないか。 これはもう「町田誠也が阿部サダヲに似ている」と言うより、「阿部サダヲが町田誠也に似ている」としても過言ではないのではないか(過言だ)。 当時これを見たときの衝撃は大きく、自分でも「いつこんな仕事したっけ?」と思ったくらい、一瞬にして記憶が混乱したのを覚えている。

個人的には、同じ年齢の有名俳優に似ていると言われるのは恐縮こそすれ、決して悪い気分ではない。 だからどんどん言ってくれて構わない。 その度には僕が調子に乗っていくだけの話だ。 しかし、実は芸能人に似ているという指摘はリスクの方が大きい。

随分前、僕がまだ若者のカテゴリーに入っている頃のこと。 その日、僕は何かのきっかけで知り合った女性とカフェで話していた。 話は思いのほか弾み、話題も多岐にわたり楽しい時間を過ごしていた。 そんな中、話題の一つとして、僕はその方に「●●(有名な女性シンガーソングライター)に似てますよね」と言った。 その途端、彼女の表情にさっと影が差した。 それまでの雰囲気とは打って変わり、明らかに僕に対して距離を取り始めた。 異変に気が付いたときはもう手遅れで、そそくさと帰り支度をする彼女に、僕はなす術もなく見送るしかなかった。 人が自分に対して心を閉ざす様をまざまざと見せつけられた瞬間だった。

この一連の流れの原因は、言うまでもなく直前の僕の発言だ。 その人に似ていると指摘されることは彼女にとっては心外だったのだ。 言い訳をするわけではないが、こちらとしては決して相手を貶めるための発言ではなかった。 むしろ、僕はそのシンガーソングライターをとても魅力的だと思っていたし、だからこそ彼女を賛美するつもりの発言だったのだが、彼女はそのようには受け止めなかった。完全に僕の勇み足。良かれと思っての言動だとしても、相手が不快であればそれはしてはいけないことを痛感した。

今年のアカデミー賞で物議を醸したウィル・スミスのビンタ事件も同じ要素を含んでいる気がする。暴力は認められないというのは大前提だとしても、司会者側も、彼の発言が当事者にとって受け入れられないものなら、それは「ジョーク」として不成立だとは言えないか。まあ、これに関しては表面的な情報だけで判断できない要素がありそうだし、また日米での認識が驚くほど異なっていて、別の意味で興味深いのだが。

話を戻そう。 結局、その人とは二度と会うことはなかった。 僕にとっての何気ない一言が人間関係に大きな影響を与えたのだ。 もしかしたら、そのままいい感じになって、夏の星座にぶら下がって上から花火を見下ろしていたかもしれないのに。

言葉は便利だが恐ろしい道具だ。 使い方によっては楽器にも武器にもなる。 同じ言葉を選択したとしても、タイミング如何で結果が真逆になる。 だからコミュニケーションは難しい。 誰とも会わないほうが気楽でいいのではないかと思ってしまうが、それはそれで無理がある。 どうしたって人は人と関わって生きていかなければならないし、人との関わりの積み重ねでここまでの発展と遂げたという歴史的事実もある。 その間には数えきれないほどの誤解やすれ違いがあり、それが争いの元で多くの命が奪われてきたのだろう。 しかしどうであれ言葉を使わないと分かり合えないのも事実だ。 だからこそ言葉は多種多様に発展してきたのだし、TOPに応じた言葉遣いをする必要があるのだろうし、そのためにも普段から語彙力を高めておくことは大切なことだと思う。

若き日の苦い思い出に端を発して、色んなことを考えた。 言葉を使って活動している自分への戒めのためにも、ここでまとめてみた次第。

最後に。 件の彼女は今頃どうしているのだろう。 もしこの拙文を目にしたら連絡してほしい(笑)。

最新情報をチェックしよう!