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尿酸値の低下を機に思うこと。

(金曜日担当;まちだ)

今、名古屋のホテルでこれを書いている。

僕が演出を担当した舞台「異邦人の庭」の名古屋・北九州ツアーが始まった。

コロナの影響で一年延期の末のツアーだけに、とても感慨深い。

見てくださる方々に楽しんでもらえるツアーにしたいと思っている。

さて、今回はそれとは全く別の話。

先日、かかりつけの病院に行った。

10年ほど前から、僕は血液中の尿酸が正常値を超えていて、その5年後には痛風の発作を発症。右足の親指の付け根がありえないぐらい腫れあがり、激痛が走る経験をしたことがある。

その後も数度の発作があり、もっと積極的な対策をということで投薬治療に踏み切ったのが去年。それから何度か血液検査をして経過を観察してきたのだが、今回ついに正常値をクリアした。担当の先生からも「いい感じですよ」とお褒めの言葉を頂いた。これはなかなか嬉しい。痛風を発症してから食事など色々と我慢することが多かったので(今も我慢しているが)、それが報われたような気分になる。



ちなみに国内で痛風の患者は約60万人から70万人と言われており、前段階である高尿酸値症(いわゆる痛風予備軍)は600万人から650万人と推定されているそうだ。結構な数字だと思うのだが、例えば糖尿病患者(予備軍も含む)は推定1000万人らしい。そちらと比べると少数派(そんなことないと思うが)だからだろうか、偏見を多分に含んでいることを承知の上で述べるが、世間はどうも痛風患者に同情的ではない(気がする)。その度合いは鼻血と双璧をなすほどで、僕が発作が出たことが分かると、周りの人々は心配しているふりをしつつ、その口端は笑みを浮かべ(ている気がする)、更には「その話もっと聞かせろ」みたいな大好物を欲する目になっていく(気がする)。ここまで来ると楽しんでいることを隠そうともしない(気がする)。そこでどうして痛風患者に対する世間の同情心はこんなにも希薄なのかを考えてみた。



まずは「痛風」という名前がいけない。どことなく響きが風流なものだから、あのなんとも形容しがたい痛みを理解してもらえず、あろうことかむしろ雅なイメージにすり替えられてしまっているのが問題だ。もっと身の毛もよだつような名称に変更すべきである。



また痛風になりやすい「顔」があるらしい。僕の知り合いに、相手の顔を見るだけで、その人が痛風かどうか(あるいは将来的になるかも含めて)分かる人がいる。本人曰く百発百中だそうで、どうも丸顔で全体的に陽の雰囲気を持つ人が該当するとのこと。確かに類は友を呼ぶではないが、僕の周りにも同じ症状を持つ「同士」が何人かいるが、割と該当していると思う。



更に古より痛風は「ぜいたく病」との蔑称を与えられ、要は痛風になるのは自業自得だという認識を持たれている(気がする)。これはなかなかに悲しみがひどい。痛風は決してぜいたくをした結果なるものではなく(それも一因としてないこともないだろうが)、尿酸値の高騰は体質によるところが大きい(らしい)のだ。幼少の頃より、他人の容姿をバカにしてはいけないと多くの人が教えられてきたと思う。ここで人の体質にまで間口を広げてはどうか。

とはいえ、「同士」からSNSを通して、定期的に「発作の報告」が届く。それを目にするたびに、最初は心配しているのだが、気がつけばニヤニヤが止まらなくなっている。嗚呼、何ということだ。世間は怖い。いつしか僕も社会の悪習に取り込まれている。

しかし分かってほしい。

痛風の発作は本当にしんどい。

何しろ自分の鼓動に合わせて患部が痛むのだ。つまり自分が生きていることを強制的に知らしめる痛み、これが痛風の発作である。決して面白おかしい扱いをするべきではない。いじられている人はきっと顔で笑って心で泣いている。涙にくれながら眠りに就き、次の日の朝、足の親指の付け根が晴れていないことにホッとする毎日を送っていることを分かってほしい。そしてその苦難を己の意思で乗り越えた者に対しては勇者として賞賛してほしい。さあみんな、僕を褒めるんだ(笑)。

数値が下がったとはいえ、投薬治療はまだ続く。

この調子でしっかりケアしていこうと思う。

でもちょっと言わせてほしい。

僕はもう痛風患者じゃないんだぜ。

ビールだってガブガブ飲むし、いくらなんてむしゃむしゃ食ってやる。

……ま、そんなことはしないけどね。

あの痛みをまた経験するくらいなら、大抵のことは我慢できる。

要するに、痛風の発作というのはそれほどしんどいってことなのだ。



※尚、内容には正確さを欠く場合があります。まじめな文章ではないので、その辺は大らかな感じでお願いします。

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